約1200年前、比叡山開祖 伝教大師最澄により比叡山延暦寺に仏教とともに、中国からゆばとお茶を伝えられたといわれてます。
日本の湯葉発祥地といわれる比叡山延暦寺。
比叡ゆばの名前の由来です。
その時、持ち帰ったといわれるお茶の木は、今も比叡山坂本に残されています。
比叡山山麓、坂本の町には湯葉にまつわる古い童歌が残されています。
「山の坊さん 何喰て暮らす ゆばのつけ焼き 定心房」
「ゆばのつけ焼き」とはゆばの蒲焼、「定心房」はお漬物のこと。
ゆばのつけ焼きは、肉食を禁じ、厳しい修行に励む僧侶の貴重な滋養食、たんぱく源でした。
比叡山には、千日間比叡の山々を念仏を唱えながら走破するという「千日回峰行」という厳しい修行があります。
修行に励む比叡山の僧侶にとって、ゆばのつけ焼き(ゆばの蒲焼風)は滋養食でありご馳走だったようです。
弊社創業者の八木冨栄にはゆばと深いご縁がありました。
安政元年(1854年)、京都の大火で御所が炎上し孝明天皇が聖護院を仮皇居とされた際、当時お仕えしていた八木冨栄の先祖がゆばを作らせてお召し上がり頂いたそうです。
孝明天皇と祐宮親王(明治天皇)は大変ゆばがお気に入りで炭火で温めた鍋に張るゆばを、一枚また一枚と海苔とわさびを加えたお醤油でお召し上がりになり、お食事に約二時間を費やされたと聞いております。
その際使用されたと聞いております皿一組は今も弊社の宝として大切に所蔵しております。